小松靖弘先生 リベラルタイム 2006.12 役に立つ健康情報 ― 41
愛犬の痴呆症改善に期待高まる「人参養栄湯(にんじんようえいとう)」
ジャーナリスト ◎油井富雄(ゆい・とみお)
1953年福島県生まれ。
早稲田大学文学部中退後、業界紙記者、「週刊現代」記者を経てフリー。
医療、健康食品問題を冷静な目で取材。
人参養栄湯というという漢方薬がある。
漢方薬店でエキス剤が売られ、医師の処方であれば健康保険が適用される。適応症としては病後の体力低下、疲労倦怠、食欲不振、寝汗、手足の冷え、貧血に用いられる。この漢方薬が長寿社会の救世主になる可能性が出てきた。
この夏に開かれた和漢医薬学会で、人参養栄湯を動物病院の獣医が高齢犬に投与して、ペットの認知症改善の有力な治療薬になると確認したのである。また、脳神経外科医が人参養栄湯を高齢者に投与し、新たな認認知症薬としての可能性を示すデータも併せて発表された。
和漢医薬学会の演者の一人で漢方薬に詳しい小松靖弘氏(医学博士・獣医東洋医学研究会副会長)は、「もともと人参養栄湯は、中国の宋代(九六〇〜一二七九年)に編集された「太平恵民和剤局方」に記載される処方で、漢方的な診断では気≠竍血≠ェ衰えた気虚、血虚状態の人に対し、気力と体力の回復を図る薬として用いられていました。現在では厚生労働省が定める人参養栄湯の適応症の中に認知症は入っていませんが、昔は健忘の人に対しても使われていたのです」という。
現在の薬の適応症には、現代西洋医学に倣った病名や症状が表示されている。ところが、漢方医学は診断方法が西洋医学と異なるので、漢方医学と西洋医学では薬の適用も変わってくる。それだけに漢方薬の薬効には、いま表示されている適応症以外にも、意外な効果が期待される場合が多い。
確実な治療薬はない
人間の脳血管性認知症やアルツハイマー型認知症には、進行を和らげる薬等はあるものの、決め手となる確実な治療法はまだない。
事情はペット医療でも同じだ。東京・西荻動物病院院長の安川明男氏は、「他の病気やケガなら獣医の出番があるのですが、老化による犬の認知症には、これといった治療法がありませんでした」という。
犬の平均寿命は十五歳ほど。それを超えると長生きの犬になるが、飼い主は、犬の老いとの闘いを目の当たりにすることになる。足腰は弱り、視力が低下し、白内障で失明することもある。聴力も衰える。飼い主の認知能力がなく、人と同じように徘徊したり、排尿や排便もままならなくなってしまう。
安川氏の動物病院には、犬たちが次第に老いて、これまでの生活ができなくなり、飼い主たちが相談に訪れる。そんな老齢犬たちに安川氏は人参養栄湯を与えた。もちろん、科学的根拠がなく人参養栄湯を試みたわけではない。
「人参養栄湯の認知症に対する基礎実験はしっかりしていたのです。痴呆の研究に取り組んでいる東京都老人総合研究所のデータでは、老齢ラットに投与すると脳の神経幹細胞に対して、賦活効果のあることを示していました」(安川氏)
人参養栄湯の基礎研究では、東京都老人総合研究所の他に、北里大学生命科学研究所の山田陽城氏らの研究で、動物実験で神経成長因子をつくり出すことを促進する作用やアセチルコリンエステラーゼという認知症を促進する物質の働きを阻害する作用が確認されている。
三ヵ月で症状改善
安川氏が最初に人参養栄湯を投与したのは、十六歳の柴犬の雌だった。症状は異常な食欲、食事以外は死んだように眠り、深夜から明け方にかけて、当然起き出して動き回る。歩き出すと狭い所に入りたがり、突き当たると後退するのに時間がかかり、起立姿勢は、頭部を下げフラフラとしてバランスが悪い。排尿場所を間違えることもしばしばだった。
ところが、投与開始後六十二日目には、昼の寝たきり生活がなくなり、姿勢が良くなり、明け方に動き回ることもなくなった。百日目あたりには、認知症の犬の特徴である異常な食欲を示すこともなくなり、排尿場所を間違えることもなくなった。
使った人参養栄湯は、顆粒状(カネボウ薬品)のもので、人体の投与量から体重換算して体重一kgあたり一日六十rを、餌に混ぜたり、オブラートに包んだりして摂取させた。
人間用には、認知症の程度を表す長谷川式簡易知能評価スケールという判定スコアがあるが、犬の場合は、動物エイムイーリサーチセンターの内野富弥氏がつくった、さまざまな行動をチェックして数値化する痴呆評価スコアがある。スコアが五〇以上だと認知症と認定されるが、その柴犬のスコアは投与前が五〇で、百日後には三五になっていた。
十九歳の雌の雑種犬の場合は、九十五日後に異常な食欲がなくなり、歩き出した時の旋向運動も消失、人や動物に対して無関心、無表情だったのが興味を示すようになった。この雑種犬は、内野式スコアが八三だったのが百日後には四九にまで改善していた。
他の三匹を含めたスコアの変化は、投与前平均六一・五から平均四〇・五まで改善している。
「柴犬の昼の寝たきり生活が治ったのには驚きました。犬の老化は、寿命から換算すると人間の約五倍のスピードで進みます。老いが目に見えて進む場合もあり、治療するのにも時間がないのです。人参養栄湯は、体力や気力を補う漢方薬であり、認知症だけではなく、老齢犬の生活の質の改善に有力な治療手段といえるでしょうね」と安川氏は語る。
改善徴候が見られたのは平均七十九日目だった。犬の脳の老化という難しい病気なだけに長期の投与が必要なようだ。
安川氏は、外科を得意とする獣医だが、尿路結石に猪苓湯、肝臓疾患には小柴胡湯の漢方薬の他に、がんにはキトサンやキノコ抽出物等を使用して治療にあたっている。今後は人参養栄湯が、認知症の老齢犬の治療の有力手段として、獣医たちの間で話題になりそうだ。
人の認知症にも効果
安川氏の犬への人参養栄湯の投与は、いままでのラットを用いた研究より進んだ動物実験といえるが、さらに、今回の和漢医薬学会では、人間を対象とした研究結果も発表された。
東京都品川区のくどうちあき脳神経外科では、患者と家族の同意を得て人参養栄湯を認知症患者八人に三ヵ月投与して、その結果、患者全員に何らかの症状改善の作用が出ていた。
また、人の認知症度を示す改訂・長谷川式簡易知能評価スケールも改善していた。ただ、元気になり言動に激しさが見られる患者も出て、投与量の調整によって、このマイナス面は改善している。人参養栄湯は、もともと人間用のものだが、人間の認知症を対象にする時には、必ず医師の管理の下にすべきだろう。
今回の研究は、動物病院の獣医師たちだけでなく、愛犬家に朗報には違いない。そして、この研究から人間用の認知症改善薬として人参養栄湯が注目されそうだ。